33.極刑 |
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池田小学校の殺人事件の被告宅間守の死刑が執行された。 昼のニュースも夜のニュースでも彼の死刑執行について取り上げていた。 これから書くのは俺が勝手に思ったこと。答えもないし、自分で結論づける先が 決まってる話ではない。ただ、なんとなく自分の中に生まれた想い。ニュースを見てて。 宅間死刑囚は、判決が下ってから、さっさと執行して欲しいと願っていた。 途中、控訴すら自ら取り下げ、早く刑を確定させ死ぬ事を願ったほどだ。 死んで償うと言葉にはしているが、それは、反省の色を少しも帯びない開き直りの ようなものだった。この事件で家族を失った被害者の方からすれば複雑だろう。 たとえば、宅間が反省の色を強く前面に出していたとして、命乞いに似た言動を裁判で取ってたら… そうしたら、可能性は少ないかもしれないが、死刑の判決ではなかったのかもしれない。 しかし、そうなったらなったで遺族の方々は「死んで償え」と声を大にするだろう。 結局のところ、死刑判決が下り、執行された。しかも異例の早さで。 この早さにマスコミは色々と問題視したり、またお決まりの過剰反応を示してはいるが…。 ここで、遺族の方々はマスコミに出て、「死んで償え」の気持ちから 「こんなに早く殺して、あいつの思い通りなところが悔しい」と言う。 俺にはね、悪いが、これがおかしいと思ってしまったんだ。 事件を考えれば、どう考えても誰が悪いのかもわかる。 何でもない一日のはずが不幸の底辺を這いずるような一日に突然変わってしまった 遺族の方々の悲しみややるせなさは俺なんかが言葉で語れるものではないこともわかる。 いや、俺なんかが到底想像する事すらも出来ないような感情なんだろう。 最悪な事件だよ、ほんと。でもさ、現実なんだよ、これが…って思う気持ちもちょっとある。 宅間は「中流家庭のガキを殺しても面白くない」と語ってた。 とても不謹慎な事を書いてるとは重々承知の上だが、これには「おぉ」と思ってしまった。 彼は事件を起こしてしまった事こそ異常だが、マスコミが言うほどの 生涯通して異常な人生を送ってきたわけではない。 彼の肩を持つ気などさらさらない。それはわかって欲しいところだが。 誰にでもあるような嫉妬心、苦痛、など、みんなと同じように持っていた。 それが異常な感情でもなければ、人生を壊す要素に直接繋がるものではない。 結果的に彼は何かのせいにしなければならない状況まで自分を追い詰め、 そして、その責任を自分の人生というものに重ね合わせつじつまを合わせようとした。 遺族にとってみれば、ただの鬼畜だ。 死刑になったところで殺された子供がかえってくるわけじゃない。 大昔のような拷問を宅間に施し、苦しみのたうち回らせながら殺したとしても 憎しみは決して晴れない。それで心が少しでも軽くなるのかといえばそうではないと俺は思う。 現代においての極刑である死刑ですらも、遺族は納得できないほどの事件なんだ。 それはな、前にも書いたとおり、彼が自らも死刑を望んでた背景があるからだ。 そこなんだよ。遺族の方々、俺にはとてもわかりえない悲しみではあると思うが、前を向いてください。 死刑が極刑なんだよ。最大な刑を彼に与えた。宅間が望んでた云々よりもそこに目を向けてくれ。 第三者の視点から見てるからこんな事を俺が言えてるって事もわかってる。 極刑にしたからって憎しみがなくなるものではない事もわかってる。現実は1つしかない。 初めに書いたとおり、自分でも何が言いたいのかまとまってないまま思うまま書いた。 ニュースを見てて、ただ、遺族の方のコメントに何か俺の中に不謹慎な感情が生まれた。 それがなんなのか、これを書いてハッキリさせてみようと思った。 けどよくわかんないままになってしまったかもな。 宅間は死刑になって当然だ。当たり前だ。人を殺した時点でそいつへの罰は死刑でいいと思う。 小学生だから?どんな保護法だよ?!って思う事も最近は少なくないしな。 |